人生とサーフィンには、共通する部分がたくさんあります。
- 挑戦
- 挫折
- 忍耐
- 努力
これら全ては、サーフィンをしているなかで学ぶことができます。
『努力』とか『忍耐』というとなんだか重たい内容のようですが、当のサーファーたちはそんなことをしている意識はありません。
![サーファーの処世術](http://i0.wp.com/nznaminori.com/wp-content/uploads/F7038E27-5DA5-4823-8E41-D6196B825658.jpeg)
じゃあどういうこと?
ただ楽しんで波乗りをしていたら、結果して、周りの人たちから見たら『忍耐強く努力をしている』ようにみえただけなのです。
波乗りに対する考え方や学べることは、人生そのものです。
今回の記事は、『サーフィンと人生の共通点』について考えていきます。
挑戦しなければ何も得られない
挑戦しないと、何も得ることはできません。それは、サーフィンも人生もおなじです。
パドルアウトに挑戦しないと、波に乗ることができないのと同じことなのです。
無理な挑戦なんてしたくない・・・
もちろん、『挑戦しないでいる』という選択肢を選ぶこともできます。それ自体も、絶対にしてはならないわけではありません。
明らかに無謀すぎる挑戦だったら、岸から見ていることができる波乗りと同じです。
できないのに無謀に突っ込むのは、勇気ではありません。安全な方を選ぶのは人間の本能だし、そうするべき場面もたくさんあるからです。
ボーッと見てるだけ?
岸から見ている間も、僕たちはたくさんのことを学ぶことができます。
それを誰かに伝えたり、次の機会に挑戦するかどうかも、僕たち自身で決めることができるのです。
![挑戦しない選択肢もある](http://i0.wp.com/nznaminori.com/wp-content/uploads/6CA7F58E-5BB6-4C98-9FC7-ABF540E20ADB.jpeg)
努力は努力じゃない
波乗りに夢中になってる間は、『自分が努力をしているのに気がついていない状態』です。
『サーフィンがしたい』という純粋な思いに突き動かされて、波乗りをしているだけなのです。
でも実際、その時の僕たちは、他人が見たときに明らかに努力をしています。
例えばどんなふうに?
- 朝早く起きて2時間以上かけて海に行く
- 寝ても覚めても波乗りのことを考えている
- 新しい技術を追求し続けている
- 若者からも何かを学ぼうとしている
これらは、明らかに努力です。
![サーファー流の夢を叶える秘訣とは?](http://i0.wp.com/nznaminori.com/wp-content/uploads/93628C39-B3A6-4F83-9E0E-61A2B6A1D2D2.jpeg)
なにが言いたいの?
僕たちサーファーは努力をしているつもりはありません。ただ、無我夢中なだけなのです。
だから僕は、『努力は努力じゃない』と思うのです。
人生でなにかを成し遂げたいのなら、『サーフィンに夢中なときと同じような状態』になるのが理想なのかもしれません。
忍耐も他の人からみた結果
忍耐と聞くと、息苦しくて大変そうなイメージを持つはずです。
それでは、冬の海に飛び込み波を待っている僕たちを、表現する言葉はなんでしょうか?
寒いのにサーフィンができる僕らは・・・
波が来るのを待っている間はまさに、『忍耐』という言葉がぴったりです。辛抱強く待っていなければ、波は自分のところにやってこないからです。
僕たちサーファーは、気がつかないうちに『耐え忍んでいる状態』も経験しています。
人生でも、同じことが言えるはずです。
成功が『波に乗ること』だとすれば、常に波に乗り続けていられる人などほとんど存在しません。
だれもがどこかで、『忍耐強く耐え忍んでいる』のです。
凍えるような北風が吹く海の上で耐えられる僕たちなら、陸の上でもそれを実現できるはずです。
![耐え忍ぶ術をサーファーたちは知っている](http://i0.wp.com/nznaminori.com/wp-content/uploads/F49BFF87-D4F5-4F6D-86F9-CABC8BB0359C.jpeg)
リラックスすることがすべての鍵
サーフィンで最も大事なのは、リラックスすることです。
波に乗っているときも、リラックスしなければ最高のパフォーマンスを出すのが難しくなるからです。
生きることもリラックスしてできれば・・・
考えてみれば、人生でも同じことが言えます。大事な場面で力を発揮できる人は、『リラックスの仕方』を心得ている人がとても多いのです。
大事な場面に出くわしたら、リラックスをするのが一番です。海の中でも、陸の上でも。
![リラックスも成長と成功の秘訣](http://i0.wp.com/nznaminori.com/wp-content/uploads/A415F0B1-EB0A-4CBC-B942-72AF035E783A.jpeg)
ひとりでもできるが仲間がいると心強い
サーフィンは、ひとりでできるものです。仲間がいなくたって海に入れますし、波にも乗ることができます。
ただ、誰も入っていないサーフスポットでひとりで入水するのは勇気が入りますし、危険が伴います。
そこに仲間がいると、状況が変わってきます。
例えばどんなふうに?
何かあったときに手を差し伸べてくれる誰かが隣にいるだけで、『勇気』が出てくるからです。
それは決して、『無謀になる』という意味ではありません。
すこしだけ勇気をくれる仲間がいると、ひとりではみれない景色を見ることができる。
それは、人生で何かに挑戦するときも同じなのではないでしょうか?
![仲間が勇気をくれる](http://i0.wp.com/nznaminori.com/wp-content/uploads/CBD2894A-2B92-4B83-A63A-51476E520D86.jpeg)
どんな状況でも楽しむ気持ちを持つことが大切
- 波が小さいから楽しめない
- サーフボードの調子が悪くて楽しくない
- 調子が悪いから楽しくない
サーフィンをしていると、そんな状況に遭遇するものです。
結局のところ、どんな状況だったとしても、僕たちには『その瞬間を楽しむ権利』が与えられています。
なにが言いたいのかわからない・・・
自分たちの気持ちの持ちかた次第で、そのときを楽しむことはいくらでも可能だということです。
人生でも、同じことが言えます。
- やることがない
- つまらない
- 時間がない
- お金がない
そんなふうに、文句や言い訳が出てきてしまう気持ちもわかります。それでも、その瞬間を楽しむ決意があれば、状況は一変するものなのです。
人生は楽しんだもの勝ちです。
![人生は楽しんだもの勝ち](http://i0.wp.com/nznaminori.com/wp-content/uploads/59999051-F5BC-4D77-A1F8-1AF296F88150.jpeg)
何回でも挑戦できる
波乗りする以前に、どうしてもパドルアウトできない時があります。
漕いでも漕いでも状況が変わらず、体力だけが消耗していきます。
じゃあどうしたらいいの?
そんなときは一度、『岸から波を見る』べきです。焦って体力を消耗するぐらいなら、一度陸に上がってしまうのです。
そうすると、近くからは見えなかったものが見えてきます。
強いカレントが沖に向かって流れていたら、そこからパドルアウトしてもいいかもしれません。
極端な話、ジェットスキーに乗せてもらうことだってできるのです。
普段の生活では?
人生だって、同じことが言えるのではないでしょうか?
壁を越える方法は一種類だけではありませんし、なにかに縛られる必要もありません。
大切なのは、焦らずに状況を判断して、成功するまで何回も挑戦することだと思います。
![成功するまで何度も挑戦し続けよう](http://i0.wp.com/nznaminori.com/wp-content/uploads/43907F87-242E-43FE-83ED-E5BE25A0C7FC.jpeg)
苦しいのはみんな同じ
波のサイズが大きくなると、パドルアウトが苦しくきつくなっていきます。
息が切れているのに何回も押し返されて、サーフボードを弾き飛ばされることだってあります。
苦しいからやめたい・・・
でも、苦しいのは自分だけではありません。一緒にパドルアウトしようとしている周りの人達も、同じように苦しいのです。
もがいているのが自分だけではないことがわかると、心が少しだけ軽くなるはずです。
だから無理をしろと、言っているのではありません。
じゃあどういうこと?
客観的に周りや自分が見えると、『冷静』になれます。
冷静になれば引き返すことができたり、違うルートを取ることができるはずです。
![苦しいのは自分だけではない](http://i0.wp.com/nznaminori.com/wp-content/uploads/160360A1-A649-4235-8758-11A61391CD8F.jpeg)
夢はいつでも持てる
夢を持つことに、遅いも早いもありません。45歳で持てる夢もあれば、18歳の時に咲かせたいものだってあるでしょう。
それに加えて、夢を持たなきゃいけないなんて決まりもありません。
夢がないのが悩みで・・・
夢が見つからないことの、それのなにがいけないのでしょうか?
50歳や60歳まで夢を持てなくたって、なにも悪いことではありません。
一生夢を持たなくたって、素晴らしい人生を送った人は大勢いるはずです。
それまでは波に乗ってサーフトリップにでかけて、仕事をして、毎日ただ生きていくだけでもいいのです。
そもそもそんな生活のことを、『夢のような人生だった』と言うのではないでしょうか?